コミュニティオーナープロフィール

曽布川直人(そぶかわなおと)
1987年6月13日生まれ
静岡県磐田市出身

【職業】
株式会社 SOBU ACADEMY 代表取締役

【経歴】
静岡大学教育学部 卒業
▶︎磐田市公立小学校10年
▶︎磐田市スポーツ振興課 指導主事3年
▶︎株式会社 SOBU ACADEMY 代表取締役

【受賞歴】
◆第29回はごろも教育研究奨励賞 個人賞受賞
できることを楽しむ体育学習を目指して
〜「かかわる」「分かる」の視点から〜
◆第32回はごろも教育研究奨励賞 個人賞受賞
「国語が好き、楽しい」といえる国語教育を目指して
〜「やまなし(宮沢賢治)における「一読総合法」の実践から〜

【主な資格】
・小学校教諭一種
・中学校教諭一種(保健体育)
・高校教諭(保健体育)
日本スポーツ協会公認スポーツリーダー
・日本サッカー協会公認C級コーチ
・日本サッカー協会公認キッズリーダー
・放課後児童支援員認定資格
・バルシューレ公認資格C級

【趣味特技】
サッカー(5歳〜)
ジュビロ磐田Jr.ユース▶︎磐田南高▶︎静岡大

【家族】
2児(小学生&幼稚園)の父

誕生〜学生時代 ーサッカー少年

 岡県磐田市に3人兄弟の末っ子として生まれる。兄の影響で5歳からサッカーを始め地元少年団チームでサッカーにのめり込む。中学進学と同時にジュビロ磐田ジュニアユースのセレクションに合格し、サッカーでプロを目指す。3年時には静岡県王者となる。中学校生活では生徒会長となり、勉強もほどほどに励むが、楽しいことが大好きで一般的とは少し違う生徒会長であったと思われる。

 ユースチームへの昇格が難しくなり、学業での進学を決意し地元進学校である磐田南高校に合格。高校でもサッカーに明け暮れる。1期先輩には当時ジュビロ磐田ユース(年代別日本代表)に所属する岡本達也(磐田、水戸、鳥取、新宿で活躍)がいて、衝撃を受ける。1年時からレギュラーに定着し、3年時には副主将として同校13年ぶりのインターハイ地区大会優勝、県ベスト16を果たし、引退。大学受験勉強へシフトチェンジ。東京大学、横浜国立大学などに進学することになるサッカー部同期の仲間ともに懸命に努力し、静岡大学教育学部保健体育教育専修になんとか合格し、大学生となる。

 サッカーはサークルでやるつもりであったが、体育会のサッカー部を見に行くと、本気でやりたい衝動を抑えきれなくなり入部を決意。週6日のサッカー生活を継続する。2期先輩には、鳥栖、札幌で活躍した早坂良太がいたり、プロの下部組織、県選抜等の選手が多く、想像以上のレベルの高さに驚きながらも、切磋琢磨しながら努力した。2年時にはインカレの出場権を獲得するなど、私立強豪校としのぎを削った。部活、勉強、アルバイトをしながら一人暮らしをしたこの4年間は、何にも変え難い経験とかけがえのない仲間を手に入れた時間であった。

教員の道へ ーまさかの小学校への配属?…しかし

 学時代は中学校教員を目指し、教員採用試験を受けるが不合格となり、磐田市費負担教員(磐田市ふるさと先生)として合格をいただき、磐田市立の公立小学校に配属となる。元々中学校教員を志していた私にとっては衝撃的な辞令だった。(小中共通教員として合格していたため当然の辞令だった。)いざ、小学校勤務が始まると、小学校教育の魅力にのめり込んでいく。2年後に、静岡県の小学校教員採用試験に合格し正規教員としてデビュー。5年生、1年生、6年生の担任として充実した3年間を送る。3年目には教育論文個人賞を受賞。

 初めての人事異動で全学年1クラスという小規模校へ赴任。5年生、6年生、6年生を担任するとともに、学校全体を動かす分掌に多く関わる。3年目には教育論文個人賞を再度受賞。地区の小学校体育連盟の理事にも就任し忙しくも充実した教員生活を送る。

 第1子(長男)を授かり、育児というものを知る。今まで想像の範疇でしかなかった育児や保護者としての思いを実感として味わっていく。そしてその難しさを体感する。

衝撃の辞令 ー転機

 規採用から3校目へ、期待を大いに膨らめている冬。校長室へ呼ばれ出向を命じられる。『職を免ずる』という免職の辞令を受け取り、磐田市スポーツ振興課へ指導主事として出向することになる。30歳での指導主事という大役に本人が一番驚きを持ちながらのスタートとなった。また、教育委員会ではなく首長部局への出向は、その後の曽布川の人生観、教育観に大きな影響を及ぼすことになる。ジュビロ磐田小学生一斉観戦事業の運営トップとして大規模イベントを動かしたり、スポーツ振興計画の策定に携わったり、幼稚園へのスポーツ教室へ行ったりと仕事は多岐に渡った。他部署の職員や民間の方々と交流する中で、教育に限らず地域を取り巻く様々な課題や今後の地域のあり方、学校以外での子供を取り巻く諸課題をあらゆる角度から考えるようになる。学校という世界から飛び出し、社会というものを少なからず体感したすばらしい3年間であった。

 指導主事時代には第2子(次男)を授かり、長男とともに育児にも熱が入る。長男の参観会や次男の○歳児検診にも積極的に参加し、我が子の成長を実感する。また、休暇を遠慮なく取得させていただける環境に大きなありがたみを感じる。この時代には、毎朝長男を幼稚園に送り届けてから出勤していたため、幼稚園の先生とも非常に交流があり幼稚園の様子も非常によく分かっていた。

小学校へ復帰。そして…退職。

 クラス規模の小学校に復帰し、飛び込みで6年生の担任となる。翌年は、学年主任として4年生を担任する。学年主任としての学年運営、3部長として学校運営、地区体育研修部長としての地区運営と、多岐に渡って全体を見る経験をさせていただく。組織を運営することの大切さや難しさを体感するとともに、保護者の声、子どもの声を聞くと、組織云々ではなく現場の声に今まで以上に答えたいという思いも強くなっていった。もちろんそれは身近にいる先生方の声も。先生たちがやりがいを持って働きにくくなっているが故に、子どもや保護者の不満や不安が増えていって、それが先生たちをより窮屈にさせてしまっている現状に、誰も悪くないし、子供も親も先生も皆一生懸命なのにどうして上手くいかないのだろう。このままでは教育は壊れていく。いや既に公教育は壊れはじめている。このままではいけないと感じ、自分にできることはなんだろうとと考え、一念発起して退職することとする。
 “教員”という肩書きがなくなった曽布川直人は何ができるのだろう。教員でなくなった曽布川直人にどんな価値、可能性があるのだろう。そこを追い求めるために歩き出すことにした。私は、「教育」「スポーツ」というものに育てていただいたことは言うまでもない。それに恩返しするためにも曽布川直人ができることを探す旅が始まったのである。

 退職後は、まず主夫業を経験することにした。今までも人並み以上には家事育児に取り組む夫であったと思うが、実際、朝から息子二人を小学校と幼稚園に送り届け、帰ってきて洗濯、掃除等の家事をし、気付けば息子たちの迎えの時間、帰ってくれば宿題に目を通し、習い事の送迎、終わって夕飯を作り、風呂に入れ、寝かしつける…。実際に専業主婦(夫)として家にいるパパママの気持ちは実際にやらないと分からないのだと実感した。それと共に、社会に少しでも出ていきたいと思っているママや、子供と一緒の時間を過ごしすぎるが故に互いに息苦しくなってしまう側面もあるのではと感じた。反対に働きに出ているが故に、子供たちに留守番をさせてしまうもどかしさや、その間の過ごし方、やりたいことがあるのに習い事へ通わせてあげられる時間や送迎の手がない問題も、耳にすることができた。学校という中以外でも、子供、親それぞれに悩みは尽きないし、それぞれが良いものをしていきたい思いがあるのに叶えられていないことがあるなら、それを解決してあげられないかと考えるようになった。

子供たちの笑顔のためには、周りの大人たちを笑顔にしなければならない

子供たちを笑顔にする教育を行う必要があるにもかかわらず、子育てに悩み、精神的に追い込まれていく親、“ブラック”と言われ疲弊していく先生方…。これでは、子供たちを笑顔にすることなど到底無理である。子供たちを笑顔にするためには、子供たちを取り囲む大人たちを救ってあげる必要があると、教員人生で千人近い保護者の方と接するとともに、多くの先生方と関わり感じた。

保護者は仕事と育児の多忙感にイライラを感じやすい。せっかく家族のために仕事を懸命にしているにもかかわらずイライラ育児になって結局子供に良い影響を与えられていない。そうだアフタースクールを作ろう…。
かつてのよう、放課後に公園や神社へ近所のお兄ちゃんお姉ちゃんたちと出掛けて遊べるような環境ではない。いわゆる失われた3つの間(空間・時間・仲間)である。それに伴い運動能力はもちろん、社会性も失われているのだろう。アフタースクールではそこも補いながら子供たちのよりよい成長を促していきたい。

先生たちや親が子供に対して笑顔で接するためには、教育の技を磨く必要がある。現代の子供たちは実に多様である。かつてのように“パワー”でどうにかなる時代でもない。だからこそ“技”は必須である。この技(引き出し・知識)が多い人ほど、子供を多面的に見ることができる。多面的に見れない人は自分の価値観だけで子供を見るので、当然その価値観に合わない言動があると、それに拒否感を感じたり、怒ったり、悲しんだりする。逆に多様な価値観を持っている人はそうはならないのである。だからこそ、多様な価値観を多くの大人に身につけてもらえば子育てや教育がもっと楽しく楽になると感じた。そうだ、コミュニティを作ってみんなで語り合いながら学んでいこう。今は、井戸端会議や仕事終わりの雑談さえもなくなっているほど慌ただしい世の中だから。

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